ドルチェ&ガッバーナ来日インタビュー、原点は「愛」、情熱と誇り

ドルチェ&ガッバーナ来日インタビュー、原点は「愛」、情熱と誇り


セクシーでかつ上質な仕立ての服で知られる伊ブランド、ドルチェ&ガッバーナ。この4月に、デザイナーが約20年ぶりに来日し、東京で紳士服と婦人服のオートクチュール(高級注文服)に当たるラインのショーを行った。経験や格式を重んじるミラノのファッション界で、1980年代から異端児として名をはせてきた彼らの歩みと今の思いを聞いた。

◇ハートで時代をリード

散り始めたはずの桜が、精巧な造花で満開に。多彩な花でいっぱいのショー会場・東京国立博物館の表慶館には、このショーのためだけに特別にデザインした101体が並んだ。モデルは日本を含むアジア人。
布が吸いつくようにぴたりと合った背中に日本的な花鳥風月が刺繍(ししゅう)されたメンズジャケットや、桜の花びら刺繍のドレス。フォーマルな服だけでなく、絹のパジャマやラケットの柄を刺繍したテニスセーターなども。手仕事をつぎ込んだ、生活のあらゆるシーンの服がそろった。この催しにかけるデザイナーの意気込みが強く伝わってきた。
デザイナーは、シチリア島出身のドメニコ・ドルチェ(58)と、ミラノ生まれのステファノ・ガッバーナ(54)の2人。仕立屋の父の元で子供の頃から服作りを習ったドルチェと、デザインを勉強していたガッバーナがミラノで出会い、1985年からミラノ・コレクションに参加している。
デビュー当初は資金的に苦しかったが、時代をリードする革新的なモード性や詩的なデザイン、高度で快適なイタリア式仕立てが評判になり、90年代初めには世界的なブランドに。90年にメンズ、94年からセカンドラインのD&Gを発売。
体に沿ったカーディガンのように着やすいジャケットや官能的なドレスが得意で、赤や黒、コルセットや動物柄などが特徴的。2000年代初めに流行したダメージ・ジーンズの火付け役ともいわれる。
歌手マドンナらのツアーの衣装デザインも手掛けてきた。今回発表した高級注文服のラインは、12年に婦人服、15年に紳士服を開始した。
1980年代末から作品を見てきたファッションジャーナリスト藤岡篤子さんは「グローバル化で国の際を消すような表現をするブランドが多い中で、彼らは一貫して自国の伝統文化を最新ファッションに落とし込んできた」と評価している。

高級注文服、日本で発表

――高級注文服のラインを日本で発表したのはなぜ?
ガッバーナ(以下) 長いこと来られなかったので、来るなら最高の敬意を示す特別なものをと思った。
ドルチェ(以下) そう、今までの分をこれで取り戻そうと思ったんだよね。
――そもそもこのラインを作ったわけは?
 顧客の要望から。雑誌で自分が買ったサンドレスを見た時、もう一般に出回っている服は欲しくないと思ったのだとか。注文服はデザイナーならいつかは試してみたい夢のライン。個性と哲学が入っていて、世界にひとつしかない服だから。自分たちには服作りの職人技があるし、作ってもいい頃だった。
――プレタポルテと違うところは?
 それ一着しか作らないこと。顧客はイタリアで年に2回、数日をかけてショーや食事を楽しむんだ。すると色んな国の人たちが家族みたいに仲良くなる。服だけでなく、体験も作りだせる。
 マーケティングじゃなくて、お客様本位な点かな。
――モデルなどに若いミレニアル世代を積極的に起用しているのは?
 2人とも、もう50代。若者は常に将来を語っていると思うから。
――デビューから32年。思い出深かったことは?
 (資金が少ない中で開いた)最初のショー。あの苦労と感激は忘れがたい。
 スーパーモデルが無償でショーに出てくれたこともあった。マドンナと出会えたのも大きかった。それも、ずっと正直に情熱と誇りをもってやってきたからだと思う。
 お金や人気のためじゃなくて、着る人のハートに届くことを目指してやってきた。ファッションは人間そのものを表現し、人を美しくするもの。毎回そのために努力してきただけ。
――いま、ファッションを取り巻く状況をどうみる?
 混乱しているよね。デザイナーの個性よりマーケティングに特化し過ぎている。業績を上げるために3年くらいでデザイナーを代えるので、ブランドの精神まで変わってしまう。自分たちも在庫を抱えて色々と迷った時もあった。でもファッションはお金じゃなくて愛だ、という原点に戻ったらすっきりした。できれば人生最後の日まで仕事をしていたい。  そうそう。いつか死んで棺おけに入っても、あの人はフォーブス誌に載るような富豪とは言えなかったけれど、いつも笑って楽しんでいた、と言われたいね。

朝日新聞デジタル より引用

 

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